いつかロボットが愛を覚えたならば。

鉄腕アトムを思い返して考えた。

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今ある電子ゲームや携帯端末の未来には、間違いなくロボットがいる。AIと呼ばれる人工知能が、現在どれくらい進んでいるのか、正直なところわからないままこんなことを思った。

 

人が人に教えてきた「愛」という概念は、自己奉仕だったり、献体だったり、いずれにしろ自己犠牲によって誰かを幸せにする行為をさしていることが多い。

異論もあると思うけれど、僕にはそう感じられた。

 

自己犠牲には、悲劇がついて回ることが多い。それは、おそらく「愛」を定義した者が、悲劇の中にあってそれでも他者を思いやれる人を目の当たりにして、そうして定義したからだと勝手に思い込んでいた。

 

けれど、そうじゃないんだってことになんとなく行き着いたような気がしている。

 

日常のあたりまえに繰り返される日々の中にも、自分を犠牲にして、自分よりも大切に想う誰かのために生きている人は、とても多い。

自分よりも大切な者がいる。

そんな日々を暮らせば、人は自然と愛に生きていると言えるのではないだろうか?

 

いつか自律して思考し言葉を話し、行動するロボットがつくられる日が来るのだとしたら、そのプログラミングにはひょっとしたら本当にアシモフのロボット三原則が、基本プログラムとして組み込まれるのかもしれない。

けれど、ロボット三原則はロボットが人に隷属するための鎖のようなものではないかと、文言だけをみてみたらそんな思いがする。

  • 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
  • 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版 、『われはロボット』より[1]

 

自分を大切に想う心を、人は幼いうちに親や周りの大人たちから教われてこそ、やがて大人になってから、自分自身と同じように幼い者たちに対して思いやることができるのではないだろうか?

そう考えると、鉄腕アトムの最初の頃の数コマが思い出される。

歩くのもおぼつかず、生みの親の博士から習い覚えたことが、ゆくゆくはアトムの心を育てていったのではないだろうかとそんなふうに思えた。

うろ覚えな上に、ひとコマかふたコマの場面だったかもしれないと自分の記憶を危ぶみながら、そう思えてしかたなくどこかにメモをとらなきゃと思い、スマートフォンであわただしく書いてみた。

 

 

教わらなければ誰一人、愛なんて身に着けられるものなんかじゃない。

 

愛されて愛されて、それゆえに人は誰かを愛することができるようになる。

 

自分よりも大切だと、他者を思いやれるようになるまでに、どれだけの学びが必要なのかなんてたぶん誰にもわかりはしないことなのかもしれない。

 

けれど、だからこそ輪廻の考えが生まれたのかもしれない。

 

人は何度も生まれ変わっては学び、いつか本当の愛に気がつく日がくるのかもしれないよね。それは僕自身も、あてはまることなのかもしれないよね。

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2015年 春

愛にあふれた友や仲間たちを思い返しながら。

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